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教養としての半導体が必要とされる「今日の日本」と「未来の日本」

産業立国には、単に工場や技術を導入するだけでなく、国民全体の産業技術リテラシーの向上が不可欠です。例えば、明治期の日本においては、産業技術教養政策が採られたことは有名です。明治政府は「富国強兵・殖産興業」を掲げて産業立国を目指しましたが、エリート教育としての産業技術知識の普及ばかりではなく、広く一般国民の産業技術的素養を涵養するために、いくつかの明確な政策を実行しました。

1. 工部省の設置と工部大学校(1873年)
エリート技術者育成を目的にフランス式工学教育を導入。指導者層の近代工学理解を確保。

2. 実業教育の推進(明治20年代以降)【一般国民の教養としての産業技術への転換】
農学校、商業学校、工業学校などの「実業補習学校」や「中等実業学校」が全国に設置。地方レベルでも産業技能の習得を図った。

3. 博覧会や見学制度
「内国勧業博覧会」(1877年〜)では国民に新技術・新産業を見せ、理解を促進。見学・講習制度で技術の「可視化と体験化」を図った。

4. 義務教育と理科・手工教育
明治20年代以降、小学校で理科や手工が導入され、子どもたちに自然科学と技術への素地を育成。

以上のように、当初は産業技術を導入し、先導するためのエリート教育に産業技術教育を位置付けましたが、その後、一般国民への教養としての産業技術が位置付けられるようになります。これらはすべて、産業・技術に対する国民の理解と関心を高め、「国民を産業の担い手」として位置づける政策でした。

他国の事例:産業教育の国民的導入

明治期の日本の産業技術教育の教養化は、特別なものではなく、ドイツではクラフトマンシップと職業訓練制度を活用した政策が十されました。19世紀末、ドイツでは徒弟制度(デュアルシステム)と職業学校を組み合わせた仕組みを整備し、「市民的産業人」を育てる教育が国家レベルで支援されました。

英国では、産業革命期に工場法と労働者教育が実施され、工場労働者向けに「Mechanics’ Institutes(職工学校)」が各地に設立(1820年代〜)されました。理科や機械工学の基礎が夜間授業などで提供されもしました。

米国ではスミソニアン協会、さらにはランドグラント大学制度(1862年〜)が一般国民の産業技術教育が推進しました。ランドグラント大学制度は、土地を提供して設立された大学が農業・機械工学などの実践教育を行い、一般農民・技術者に知識を普及というもので、米国の大学の多くがこのランドグラント大学の影響を受けています。米国では急造された即席大学が「産業の民主化」を担う機関として機能しました。

今、日本の産業技術教育2.0

明治日本は、当初はエリート技術者中心の育成に重点を置きましたが、1880年代以降は国民全体の産業技術教養の向上を強く意識した政策へと転換しました。これはドイツやアメリカと並んで、「国民をして近代産業の担い手とする」ための教育体制の一環でした。産業立国においては、「制度と技術」と並んで、「理解と態度」の涵養が極めて重要です。明治日本の政策は、それをかなり早い段階で意識していたと評価できます。

今日、日本は産業技術における大きな胎動に直面して、新しい産業技術教育を必要としています。その一つが「半導体」なのです。「半導体なんて、高度な技術者が知っていればいい知識や先端技術なのだから、一般国民には関係ない」という意見が圧倒的でしょう。しかし、歴史的に見れば、産業技術は国民の教養化しない限り、その国にとって、その産業技術が地となり肉となることはないのです。

私たち日本人が100年後も国家としての命脈を保つためには、今こそ明治に行われた産業技術教育の国民への普及、産業技術の教養化を遂げなければならないのです。

私たちのサイトは、この半導体技術の教養化を図るための一歩として役立ちたいと考えています。

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