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HITAC 5020とその系譜:国産計算機産業の胎動と競争の時代―日立・富士通・NEC、三社鼎立と政府主導の産業政策―

1. HITAC 5020の位置づけ再考:単なる一機種ではなく「転換点」

1964年に登場した日立製作所のHITAC 5020は、日本における「国産大型汎用コンピュータ元年」を象徴する存在である。その後、日本の電機各社は次々と大型計算機市場に参入し、富士通のFACOMシリーズ、NECのNEACシリーズなどとともに、熾烈な国産コンピュータ競争の幕が切って落とされた。

この5020は、単なる技術革新にとどまらず、産業政策の対象となる戦略的製品として、国家・産業・企業の三者の関係性の中で歴史的意義を持っていた。


2. 後継機種との比較:HITAC 8000シリーズへの発展と国際競争力の確立(HITAC 5020から8000シリーズへの飛躍)

HITAC 5020の技術は、後にHITAC 8000シリーズ(とくにHITAC 8800やMシリーズ)へと引き継がれる。5020がトランジスタによる汎用機だったのに対し、8000シリーズではIC(集積回路)化が進み、さらに仮想記憶機能やマルチタスク処理の導入により、当時世界標準となったIBM System/370シリーズに匹敵する性能を目指した。
項目HITAC 5020(1964)HITAC 8000シリーズ(1970年代〜)
論理素子トランジスタ集積回路(IC、LSI)
メモリ構成磁気コアメモリ高速主記憶(半導体メモリ)、仮想記憶
ソフトウェア環境自社製アセンブラ、簡易OSOS/AS、VOS3など高度OS
対応業務科学技術計算・事務処理トランザクション処理、ネットワーク連携
国際標準との整合IBM互換部分あり(部分的)IBM互換拡大、日米市場で競争可能に
8000シリーズは、国内市場のみならずアメリカ・アジア市場への輸出も視野に入れて設計され、1980年代の日立製メインフレームの国際展開の基盤となった。


3. 他社との競争構図:日立・富士通・NECによる三国志的競合

1960年代後半〜1970年代にかけて、日立は富士通・NECと並び、「計算機御三家」と称された。各社は異なる強みを持ちながら、大型汎用機市場で激しく競争した。
企業名主力シリーズ特徴
日立HITACシリーズ重電系の技術基盤、信頼性重視、大規模システム向け
富士通FACOMシリーズ科学技術計算に強み、文教・金融に強固な顧客基盤
NECNEACシリーズ通信との連携、事務処理志向、官公庁分野に強い
とくに富士通は、早くから科学技術計算に注力しており、FACOM 230-60(1968)などで先進的な演算性能を実現した。NECはNEAC-2200シリーズにより、事務処理系の効率化に強みを発揮。日立は5020に続く大型機によって、銀行や保険会社の基幹系システム市場で躍進した。

これらの競争は、単なる技術水準の競い合いにとどまらず、顧客の業務プロセスに深く関わるシステム提案型営業の洗練へと発展した。


4. 政府の支援と産業政策:当時の通産省による「国産コンピュータ政策」

HITAC 5020を含む国産計算機の展開には、通商産業省(MITI)による強力な後押しがあった。特に注目すべき政策的支援は以下のとおりである:

(1) 特定電子計算機開発助成制度(1959年〜)
1960年代初頭、政府は国産コンピュータの研究開発に補助金を交付。日立・富士通・NECを「指定企業」として支援し、トランジスタ化・汎用化への道筋を後押しした。

(2) JAC(日本電子計算機株式会社)構想
政府と企業が共同出資する国策会社による標準化と集中開発を目指す動きもあり、民間主導と官主導の間を揺れ動く中で、国産技術の共通基盤化が進められた。結果的にJAC構想自体は大規模成功には至らなかったが、技術移転・人材育成に一定の役割を果たした。

(3) 輸入制限と調達優遇
当初、政府は外資製品(特にIBM製)の輸入を制限し、国内調達を原則とする調達基準を設けた。これは、国産機導入を優遇する形で、企業各社の国内シェア獲得に貢献した。


5. 総括:5020が築いたもの、それを継いだもの

HITAC 5020は、単なる「1台の計算機」ではない。それは、日本企業が技術的自立を目指し、グローバル競争に挑む過程で生まれた象徴的なプラットフォームであった。そこから生まれた技術力、信頼性重視の設計思想、人材の育成と組織的学習は、後に日立がメインフレーム分野で世界有数の地位を築く足がかりとなった。

同時に、その進化は、他社との技術的競争、そして政府との共創的産業政策という文脈なしには語れない。HITAC 5020は、戦後日本の情報技術産業の胎動を体現した「メモリを超えた記憶装置」だったのだ。




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