TOP > 半導体の出現発展史 > 日の丸半導体の出現
マイクロプロセッサが、1971年に開発されました。しかし、1970年代は半導体の市場はまだ広がりはありませんでした。1960年代は電卓戦争の時代でした。しかし、1970年代に入ると、TVをはじめとしたAV機器、家電製品にもICが組み込まれるようになってきました。いわゆる「家電の電子化」の時代です。そのため、1970年代のマイクロプロセッサの主戦場は、個別の電子機器に向けて、専用に開発されたカスタムICが主流でした。
1970年代から1980年代は、日本メーカーの半導体が「日の丸半導体」と呼ばれ、世界の市場を牽引しました。超LSI技術研究組合による研究成果に加えて、各メーカーの研究開発が結実し、1980年代初頭には日本製のDRAMがインテルやテキサス・インスツルメンツなどの海外勢を抜いて、世界のトップに躍り出ることになります。
日本メーカーが米国メーカーを追い抜いた最大の理由は、信頼性の高さにありました。汎用コンピュータや電話の電子交換機では、信頼性の高さが重要でしたから、品質が高い日本製が好まれたわけです。さらに、日本のDRAMは安価だったのも日本勢のシェアを押し上げた理由の一つとなっていました。
1985年には日本メーカーの勢いに押されるようにインテルがDRAM事業から撤退し、1986年には日本メーカーが作ったDRAMの世界シェアは8割にも到達しました。
DRAMの勢いに引っ張られるように、日本製のカスタムICもシェアを挙げていきます。当時の日本では日本電気や富士通、ソニーや松下電器産業(現パナソニック)が、高性能な自社製品を作るために、自社でカスタムICを開発、製造していました。日本製のテレビやラジオ、カセットデツキやAV コンポ、家庭用ビデオデッキなどは、その高い品質と性能から驚きと称賛をもって世界中から迎えられました。例えば1979年にソニーが発売したポータブル・オーディオプレイヤー「ウオークマン」は、世界中で爆発的に売れました。日本製電子機器の象徴ともいえるものでした。ウォークマンは若者を中心にライフスタイルを大きく変革することになります。どこであっても、他人に聞かれることなく、個人で音楽を楽しむという新しい音楽鑑賞スタイルを確立させたのです。これもまた半導体がもたらした世界の変化の一つです。
このような日本メーカーによって製造された半導体は世界中に広がっていきました。
通信の需要から生まれた半導体が、電卓の需要によって急速な進化を遂げていったのと同じように、1970年代は、AV機器や家電製品の需要によって半導体メーカーが成長していった時代でした。半導体の強みは小さいことはもちろん、壊れにくさにもあります。例えば機械式のスイッチでは、長く使っていれば部品の摩耗などにより故障などのトラブルが起こりやすくなります。
しかし、半導体であれば電気信号のみでON/OFFが切り替えられ、物理的に動く部分がないためにほとんど故障しません。また真空管は複数の繊細なパーツから構成されていましたが、半導体は多数の素子が集積されて1部品として構成、パッケージ封入されています。人の手によって組み立てられる部分が少なくなる分、信頼性の高い電子機器を作ることが可能になるのです。このようなことからカスタムICは電卓や家電製品だけでなく、原子力発電所や火力発電所のような大きな装置を制御しなければならない用途にも、どんどん使われるようになりました。その後マイクロプロセッサなどの汎用ICの
台頭により、カスタムーCの相対的な需要は下がり始めます。
1970年代から1980年代の日本の半導体業界はまさに黄金時代を築き上げました。日本の半導体が世界を牽引できた理由は、汎用コンピュータに使用されたDRAMや、日本の電気メーカーが市場シェアを多くもっていたAV機器や家電製品に使用されていたカスタム半導体の需要拡大にありました。個々の電子機器に合わせてICが多数設計、開発され、家庭用ビデオデッキやポータブルオーデイオプレイヤーといつた新たな電子機器が世界中で販売されていったのです。
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