TOP > 半導体技術・産業動向の教養 > 「日の丸半導体」が世界を席巻した時代:日本半導体産業の黄金期
1.日の丸半導体の幕開け:マイクロプロセッサと家電電子化の時代
1971年、インテルが世界初のマイクロプロセッサ「4004」を発表したことで、コンピュータとエレクトロニクスの歴史は大きく転換点を迎えました。しかし、この時点では、まだ半導体市場は黎明期に過ぎず、そのインパクトが可視化されるのはもう少し先のことになります。
1970年代に入ると、テレビやステレオ、電子レンジ、炊飯器といった家電製品が次々と「電子化」され始めました。この家電のスマート化に呼応するかたちで、マイクロプロセッサやIC(集積回路)の需要は急激に増大。特に、電子機器ごとに機能を最適化する「カスタムIC」は、家電製造企業の競争力を左右する重要な武器となりました。
2.世界に冠たる「日の丸半導体」誕生の背景
1980年代、日本の半導体メーカーは世界市場において他を圧倒する存在となり、「日の丸半導体」という称号で呼ばれるまでになります。その中核を担ったのが、NEC、東芝、日立製作所、富士通、三菱電機などの大手電機メーカーです。
この急成長を支えた技術基盤の一つが、政府主導の国家プロジェクト「超LSI(大規模集積回路)技術研究組合」による先端研究です。政府、産業界、学術界の三位一体による取り組みは、世界的にも注目される成功事例となりました。
特筆すべきは、DRAM(ダイナミック・ランダム・アクセス・メモリ)での快進撃です。1980年代初頭には、日本製DRAMがインテルやテキサス・インスツルメンツといった米国の半導体企業を追い抜き、1986年には世界シェアの80%を占めるに至ります。この躍進の裏には、「高信頼性」と「コスト競争力」がありました。日本の製品は厳格な品質管理により、特に通信機器や金融機器のように障害許容度が低い分野で高く評価されました。
また、日本の製造現場では「カイゼン」や「TQC(全社的品質管理)」などの手法が徹底され、製品の不良率が著しく低かったことも、国際競争力の源泉でした。
3.家電と共に世界へ:カスタムICの拡大
DRAMと並んで、日本メーカーの成長を支えたのが、自社製品向けに開発されたカスタムICです。テレビ、オーディオ、家庭用ビデオデッキなどの製品に最適化されたこれらの半導体は、家電製品の性能向上とコスト低減に大きく貢献しました。
象徴的な製品のひとつが、1979年にソニーが発売した「ウォークマン」です。高性能・低消費電力のICが搭載されたこのポータブルオーディオは、世界中の若者のライフスタイルを一変させ、「個人で音楽を持ち歩く」という文化を創出しました。これは、技術が文化に変容を与えた代表的事例といえるでしょう。
4.技術的特性がもたらす社会的変革
半導体の利点は、その「小型・高信頼・低コスト」という三拍子にあります。物理的な接点が不要なスイッチングや論理演算は、故障率の低減に大きく寄与し、家電のみならず、原子力発電所や交通インフラといった重要分野でも採用が広がりました。
従来の真空管が複雑で繊細な構造をしていたのに対し、半導体ICは極めて堅牢かつ大量生産が可能。さらに集積化により、機能を高度化しつつ製品の小型化・省電力化を実現しました。これは、製品のポータブル化、ひいてはモバイル時代の到来を準備する技術的前提でもありました。
5.成功の光と影:カスタムICの限界と汎用ICの台頭
1980年代後半、日本の半導体は世界市場の頂点にありましたが、その構造は「自社製品に最適化されたICを自社で設計・製造する」という垂直統合モデルに依存していました。この戦略は、短期的には高い成果を上げましたが、汎用性やスケーラビリティの観点からは限界を孕んでいました。
1990年代以降、米国勢を中心とした「水平分業モデル」が台頭し、ファブレス企業(設計専門)とファウンドリ(製造専門)による分業体制がグローバル標準に。インテル、クアルコム、TSMCなどがこの波に乗り、再び日本勢を凌駕する時代が訪れます。
6.黄金期の教訓と次なる挑戦
1970年代から1980年代にかけての日本の半導体産業は、技術、組織、品質、国家戦略が高次に融合した奇跡の時代でした。その教訓は、今日の脱炭素化社会やAI時代においてもなお価値あるものです。
現在、再び半導体が「国家の戦略資源」として注目を集めています。量子コンピュータ、AIチップ、5G/6G、そしてポストシリコン材料の開発競争は、次の覇権を左右する技術経営の戦場となっています。あの黄金期に蓄積された技術とノウハウは、今なお日本の産業の深層に眠っています。問題は、それを再び掘り起こす意思と仕組みを社会全体が持てるかどうかにあります。
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