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汎用コンピュータの発展

1950年代から発売されるようになっていた商用コンピュータは、主に大企業や政府機関で業務計算などに利用されていました。1964年には米国IBM(International Business Machenes)から「システム/ 3 6 0」 、日立製作所から「HITAC5020」などの大型汎用コンピュータが発売されていました。汎用コンピュータはメインフレームとも呼ばれ、事務計算や科学技術計算など、さまざまな用途に対応できるようにしたコンピュータです。このようなコンピュータは米国航空宇宙局(NASA)での科学技術計算や日本国有鉄道(現JRグループ) の切符予約システムなど、さまざまな用途がありました。当時のコンピュータはコンピュータシステムだけでも一室を占領してしまうほど大きく、高価で、現代のパソコンのようなものではありませんでした。

しかし、オペレーテイングシステム(OS)やハードディスク、オンラインシステムといった、現代にも使われている技術が、大型汎用コンピュータの開発過程で開発されてきました。OSやHDといったコンピュータの構成は、1971年に開発された「インテル4004」の構成、すなわちコンピュータの構造がソフトウェアとハードウェアに分かれていった過程にもつながり、パソコン開発の法師となっていきます。

当時、汎用コンピュータの記憶装置には、半導体ではなく磁気コアメモリというものが使われていました。しかし、磁気コアメモリは非常に大きく、手作業で製造されていたために非常にコストが高かったのです。そこでムーアとノイスはインテルで半導体メモリの開発に注力すると決定します。同じ頃、IBMも半導体メモリの開発を行っていましたが、半導体メモリもコストが高いなどの問題が多く、なかなか開発はうまくいきませんでした。そのようななか、1973年にテキサス・インスツルメンツが、トランジスター個とキャパシター個を組み合わせた4KビットのDRAMを開発します。DRAMとはDynamic Random Access Memoryの略です。

RAM (コンピュータのデータの読み出しや書き込みの両方が随時できる半導体記憶装置)の一種で、マイクロプロセッサの処理の高速化には欠かせない半導体です。DRAMが開発されると、たった3年足らずで容量は4倍になるなど、日覚ましい勢いの開発競争が始まりました。

これを受け、日本では1976年に超LSI技術研究組合が発足しました。富士通、日立製作所、三菱電機、日本電気、東京芝浦電気(現東芝)からなる研究組合を通商産業省(現経済産業省)が牽引し、より高性能なDRAMの開発が進められたのです。この取り組みもあって、参加していた5社それぞれが1976年に16KビットDRAMを製品化したのです。これらのDRAMは汎用コンピュータや固定電話の電子交換機などに使用されました。


こうして1958年に発明されたICは電卓に使用され、民間需要を喚起しながら大きく市場を拡大しました。電卓の低価格化や、高性能化に伴ってICの集積度は急激に増していきます。またその過程でマイクロプロセッサやDRAMという、その後のパソコン時代に向かう流れがつくられていったのです。



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